“負の遺産”を乗り越えてEU圏を主導・再生する国は・・・

ドイツは第二次大戦の負の遺産をいち早く清算しようと努めた。日本のような曖昧さは見られない。いまなおNazi戦犯者や協力者への追及の手は緩めない。
先般の2010FIFA World Cup South Africaでも顕著なように国是がbi-racial(多民族)主義に向かっている。第二次大戦の痛切な教訓と反省にたつものだ。

英紙The Independentは“Europe's economic growth exceeds expectations”とEU圏が予想以上の経済成長にあるとして、その牽引国はドイツ、EU圏全体平均の経済成長率1.7%をはるか上回り、この三ヶ月で前の3ヶ月より2.2%の驚異的伸びを記録。20年前の東西ドイツ統一以来の伸び率だと伝える。

これをThe NY Times最新号のベッドライン“Defying Others, Germany Finds Economic Success”(他国を尻目に、経済成長に凱旋するドイツ)が裏打ちしている。こうした強力な経済躍進をもたらしつつある要因は何か。他のEU圏諸国と異なり、長期的な経済成長をめざし労働者・企業ともに短期的な犠牲を厭わず互いに痛みを分かち合ったからだとその国民性を讃える。

不況下にあっても、Angela Merkel首相が米国や他の西欧諸国が経済回復には不可欠だとしていた政府の緊縮財政政策に抵抗した点が大きいという。
こうした経済成長に対して自国民の世論はどうか。
“German everything I imagine. Germany makes many things. All good quality stuff. Plastic mold injection machinery and many other types of heavy machinery, prefab houses, Cars, trucks.”
“Germany still trains its workers、 something Britain stopped when Thatcher abandoned the apprenticeship scheme
(ドイツは自国であらゆるものを生産している。しかも良質のものばかりだ。プラスチック製品から重工業製品、プレハブ住宅から車、トラックに到るまで)
(ドイツは今なお労働者の訓練を怠らない。これは、英国がサッチャー政権時代に徒弟制度を廃止して以来放棄してしまってシステムだ)
“The hidden problem with this is the rising unemployment of 16-24 years old.”(この裏には隠れた問題がある。16歳〜24歳の若年層の失業率のが上昇している点だ)
若年層の失業率、有効求人倍率はドイツではどうだろう。

経済成長により総ての独国民が潤っているわけではないが、女性首相Angela Merkel氏の存在がこのところBarack Obamaに次いで目立ち、そのうえ何処かの国のPMと違って安定している。
ところで当のMerkel首相、生まれはHanburgだが幼少の頃当時の東独に移住し生活していた。
当然、いわゆるBerlin Mauer(ベルリン壁)の作られた時代、そして1989年の壁の崩壊の時代をくくりぬけてきたはずた。

Berlinは第二次大戦後、都市自体が米・英・仏・ソ連に分割占領された。が、米英仏の占領地域である西ベルリンは周囲を全て東独に囲まれた『赤い海に浮かぶ自由の島』となり、東独国民の西ベルリンへの逃亡が相次いだ。

ベルリンの壁」は住民流出に危機感を抱いたソ連と東独政府が、流出を防ぐため建設したものだ。かくして、壁は東西両ドイツの直上ではなく、全て東独領内に建設されたのである。
東独が東西ベルリン間68の道すべてを閉鎖して有刺鉄線による「壁」の建設を始めたのはちょうど今から49年前の1961年8月13日0時だった。


当時東独は、この壁は西側からの軍事攻撃を防ぐためのものであると主張していたがこれは名目だった。実際は、東独市民が西ベルリンを経由して西独に逃れるのを防ぐための「封鎖」であり、対象となったのは東独陣営に住む人々だった。「壁」は1975年に完成。最終期のものはコンクリート造り、全長155㎞に達した。


1963年6月26日、米国大統領JFKが西ベルリンを訪問“Ich bin ein Berliner”(私はベルリン市民である)と演説。「すべての自由な人間は、どこに住んでいようとベルリン市民である」と語った。この名演説が東ベルリン市民の心に刻まれ、一層自由を希求することになったろう。

JFKがダラスで暗殺されたのは同じ年の11月だった。
1989年、壁が壊されるまでに東ベルリンから壁を越え、西ベルリンへの逃亡に成功した東独国民は5000名を超える。が、一方東独国境警備隊により192名の人々が射殺されている。



冷戦時代のドイツの負の遺産である。東西ドイツは統合され20年を経た現在、元の東独側の住民は西独と比べて貧しいと言われている。今もドイツにも光と影が存在する。克服するのは毅然たるリーダーと正しい歴史認識をもった勤勉な国民だと考えるが如何・・?