寸見−−分断・隔絶の非情の時代

8/15が近づく。PM Kan内閣は全閣僚とも靖国参拝はしないという。適切妥当というべし。昨夜もTVで『玉砕』の真実をアッツ島からの数少ない生還者による苦渋の語りから知った。


ここ連日、無謀な大戦に狂奔した帝国日本の最高指導部、大本営の正体が暴かれる。圧倒的な米軍に追い詰められsuicide attackを強いられた日本兵について大本営は「心残りなく笑って、悠久の大義に就いた」と美化し国民を欺く。≪生きて虜囚の辱めを受けず≫と次々と死地に送られ花と散るのを戦陣訓とした。アジア太平洋戦争の日本軍部の侵略性と自国民への犠牲の強要は第二次大戦に参戦した各国には見られぬ異様な狂気としかいうほかない。

時節柄、我が国軍国主義に焦点をあてた太平洋戦争の実態を証言するドキュメンタリーがNHKやBSを中心に特集されているが、ヨーロッパ戦線のアーカイブを俯瞰する必要もあろう。
西欧における第二次大戦の悲劇といえば誰もがNazi, Hitlerによるホロコーストアウシュビッツでのユダヤ人絶滅作戦だと答える。このアウシュビッツ収容所はNaziが侵攻・占領したポーランド南部に在ることを知らない人も多かろう。ヨーロッパ戦線でこの世の地獄を体験した悲劇の国はポーランドだ。第二次大戦の発端となったのも1939年9月1日の独軍よる電撃作戦、ポーランドへの侵攻・蹂躙だ。ワルシャワ中央政府は必死に抵抗したがNaziの無差別攻撃に制圧され、その後、Hitlerとソ連スターリンの密約によりポーランドは独ソに分割、世界地図からポーランドの名が消え去った。


さらに、70年前の1940年、ソ連秘密警察の命令によりソ連カチンの森」でポーランド兵2万人が虐殺された。



第二次大戦により翻弄されたポーランド。今年4月、「カチンの森事件」追悼式典のためロシア、スモレンスクに向かう途中の同国政府専用機カチンの森近くで墜落、カチンスキ大統領などが犠牲になった。カチンは忌むべき呪いの地なのか・・。
先日,前大統領らを悼む追悼集会が大統領官邸前で行なわれたが、事故直後に官邸前に立てられた“十字架”をめぐり、現大統領支持派が「喪はあけた」として十字架の撤去を求め、撤去反対派と衝突。前大統領の遺体は官邸に一時安置されていたこともあってワルシャワ中心部はローソクがともされ悲劇を象徴する場となった。ポーランドはいまロシアとの関係をいかにすべきか。「墜落事故は現政権の陰謀」だと信じる前大統領支持派もいる。「十字架がポーランドを真っ二つに割っている」と報じるメディアもある。

ワルシャワといえば、40数年前に見た映画「ワルソー・ゲットー」が忘れなれない。ワルソーとは首都ワルシャワ。このワルソーにNaziが作ったユダヤ人居住地を意味する。が、「ワルソー・ゲットー」の名は、アウシュビッツの名と並んで、Naziによるおぞましい残虐行為を象徴する場である。


1940年初めに、ワルソーに住んでいたユダヤ人はすべて、高い壁に囲まれた2㎞四方の居住地域、つまりゲットー(ghetto)に押し込められ隔離され、外界から隔絶された生活を強いられた。後にその数60万人にのぼる。そして3年後、計画的に死地へ追いやられていくわけだ。
真実を国民に隠すの狂奔したアジアの帝国があった。民族を非人間化し隔離・隔絶、絶滅させようとした西欧の狂人がいた。それらが史上最悪の惨劇を生んでしまった。戦争はあってはならぬ最悪の人災だ。