Requiem(鎮魂)−−repose of souls(魂よ安らかに)と祈るには悲惨すぎる

8/15に先駆けて今年も8/12を迎えた。JL jumbo jet's crashの惨劇から早や四半世紀を迎えた。JAL 123便、Boeing 747-SR46機が羽田を飛び立って間もなく急降下し、群馬県のそれまで余り名も知られていなかった山の尾根に撃墜した。520名に及ぶ乗客・乗員が落命、生存者4名という我が国航空史上最大の悲劇だった。


ボクにこの惨事の知らせが入ったのは南半球NZ滞在中、車のラジオからの速報を通じてである。9000㎞離れた地球裏側の異郷の地でも大騒ぎになり、ボクの周りに≪修学旅行客が乗っていたようだ≫などとウワサが飛び交うほどだった。墜落現場が首都圏に近いと伝えられこともあり、ボクが場所を知っているはずだと現地の人たちに思われ質問攻めにあった。翌朝の現地紙でOsutakayamaと特定されたがそのような名前の山は知らない。現在のようにemailなどという便利なものはない。携帯電話もない。止む無く滞在宅から東京の自宅に電話、状況を尋ねた。まるで昨日のことのようだ。
異様な大揺れのなか急降下する機上にあった乗客の多くは墜落を予感し覚悟・・、あるい精神的パニック状態のままcrash・・。いずれも心のうちは想像できない。遺族の方々にとって悪夢だったはずだ。その悲痛さ痛恨の胸のうちも計り知れない。
海外でこうした悲劇の報に接したボクにとってはまさにエア・ポケットに入ってしまったような数日だった。それだけに返って記憶は鮮烈だ。
8/6,8/9,8/15もそうだが、遺族や縁者だけではなくいま存命中のボクたちは、こうした日を迎えると哀悼・追悼の意を捧げる。ただ単に鎮魂として片付けてしまう。諸行無常、一種の宗教観からきているのか。Christianityからいえば≪神に召された≫ということになろう。

今日のSalt Lake TribuneのUtah Newsを読む。
“Fatal crash leaves Japan in mourning”のHeadlineのもと“A fatal tour bus crash near Ceder City has sent shock waves across the Pacific as Japan mourns the three tourists who died in Monday's wreck”(シーダー・シティ近郊で起きた死の観光バス転落事故は太平洋の向こうに衝撃の大津波をもたらし、日本では月曜日に事故死した三人の旅行者を悼んでいる)
Utah Highway PatrolのRyan Bauner氏は「事故原因は運転手の居眠り運転によるものかも知れない」とコメントとながらも、2006年型Fordのシャトル・バスが何故ハイウェイから大きく逸れ横転大破したのか慎重な分析を要するとして、軽傷を負って脱出した26歳の運転手に聴き取り調査をしている。


Bauner氏によれば「ドライバーはLas Vegasに在住する日本人でビザを持っており、英語が話せる。Nevada州の運転免許も持っている」
その上でBauner氏は「ドライバーの身になって考えて欲しい。もし自分がこうした事故を引き起こしたとしたらどんな心境になるか? 彼は落ち込んでいる。気の毒だ」と言ってドライバーの名前を伏せている。
日本のメディアは運転手の居眠り・過失致死傷害事故として起訴の可能性に言及しているが・・・。このドライバーは現地Canyon Transportationに雇われていたといわれいるが、今度の渓谷めぐりTourの現地手配業者の下請けならぬ“マゴ請け”だったようだ。

先日ボクが利用したJet Starに似て、米国でも格安航空会社が大流行。低賃金で酷使されている客室乗務員が機内であまりにも我がままな乗客に怒りを爆発、キレてしまって、離陸前に脱出シュートを使って逃走。「馬鹿らしくてやめた」 世論からの喝采が聞こえる。

因みにこの格安AirJetblue Airways。

トンでもない事故を起こした今回のドライバーも低賃金で酷使されていたわけでなければいいが、怪しい・・。