閑中忙あり--Return from a business trip in wet Gold Cost.

玉置弘さんじゃないが“一週間のご無沙汰でした”。
Gold Coastから昨夜遅く帰国。この時季の南半球への旅は、傍から見れば“避暑にはいいですね”てなことになるが、現地で長期滞在すると猛暑の日本に帰ったあと時差ボケならぬ季節ボケになるのが通例だ。
これまで豪州には数回立ち寄ったり、短期滞在した経験があるが、場所はもっぱらSydneyだった。

今回仕事に出かけたのはNew South WalesQueenslandの州境にある静かな港街Byron Bay。そしてGold Coastの近郊。いずれも初めての街で、余り関心のない場所だった。我輩がマネージしている学校の生徒たちの語学研修の姿を実地踏査し、sister school構築のための旅だ。


現地の語学学校はこの時季千客万来で繁盛している。相変わらず日本人が多いが、他の東洋人や、非英語圏EU諸国から英語研修にやってくる若者もかなりいる。短期・長期滞在の違いはあるものの、speaking & listening skillなど英語の伸長の度合いは一様ではない。やはり日本の若者が最も苦手のようだ。とはいえ、かねてからの自論だが、1-2週間程度のcrush courseのEnglish lessonsよりもhomestay体験や現地の学校に入ってhost studentと共に普通の授業を受ける方が効果がある。因みに、host studentのことをbuddy(相棒)と呼ぶことを今回はじめてて知った。カジュアルで良い呼称だ。普通授業への参加について現地の教師たちは、言葉の壁が厚いため“日本人高校生の英語レベルでは内容はチンプンカンプンだろう”とボクの提示する古典的アイデアには俄かには肯いてくれない。ボクに言わせれば、日本の高校生にとって、英語を母国語とする同世代の若者と否応無く付き合わなきゃならない機会を出来る限り多く持つことはまたとない経験となるはずだ。

かかる視点に立って、Gold Coat近郊の姉妹校候補となるであろう私学を2校訪問した。お会いした関係者はいずれも校長など幹部スタッフであり、日本人の受け入れに関心が強く、誠実で識見があり傾聴に値する話を聞くことできた。我が方も言うべきことは率直に申し上げ、いわば、good meeting & negotiationになった思う。問題は相手校の生徒がどの程度日本語に、日本文化に興味があり、日本への研修旅行を望んでいるかだ。



日本に関心を持っている生徒の数はさほど多くないようだ。(いわゆる白豪主義が背景にあるようだ。現地で先住民やbi-racialの話題は出しにくい。訪問した2校にもcolored studentsはほとんど見られない。その点がNZとの違いのようだ)加えて無視できないのが、accommodationがfreeかどうかだ。豪州の学校は公私の別なく有料制だという。が、それは通常のInternational students、つまり留学生の受け入れの場合だろう。当方の求めるのはsister school relationship(partnership)だ。互いに相手校生徒の受け入れは基本的には無料で責任もってホストをつとめ世話をする。我輩の20年以上の国際交流関係の仕事に携わった経験に照らせば、難しいことではない。




大人(学校当局と現場教員)同士の国際理解教育に関する意識と相互の固い信頼関係の構築が基盤となろう。

Gold Coastの1週間足らずはしばしば雨に濡れ、思いのほか寒い日々だった。ビーチサイドはサーファで賑わっていた。


現地Gold Coastは新興都市だ。人口60万を突破し、さらに人口増が続くだろう。目下建設中の高層ビルが目につく。
滞在中、暇な時間は読書にあてた。5日間に長編小説を三本読んだ。閑中とはいえ、毎日学校を訪れ視察と幹部との会談、夜は会食と相成った。その点忙しく慌しい旅だった。


Gold Coastの近郊、郊外は広い邸宅が多い。リタイア組にとって悠々自適の暮らしには格好の街かもしれない。


でも、我輩もリタイアー組に仲間入りすべき年齢だが、busy boyのほう向いているようだ。道を往来する人たちが観光客とretiring couplesだけでは街の文化は感じられない。国際政治・国際情勢とは切り離されたgood economy・・? 躍進する大都市へと変貌してゆく港町の断面を垣間見るbusiness tripだった。
帰路のフライトは機上客約7割。そのなかにネクタイを締めたスーツ姿の男はどうやらボク一人だったようだ。