あいさつも口上も所作も、源は心ばえ

仕事柄、若者をしつける身にありながら、我が家ではかみさんや子供たちに躾けられている。面目ない、みっともない話だが、帰宅すると途端に心ばえが崩れてしまってだらしなくなるから仕方ない。

あれだけ父露伴に躾けられた幸田文さんも、挨拶は苦手だったという。「ちゃんとうまく言えたなどという記憶は1つもない。そのかわりといってはへんだが、まずい挨拶をしてしまって、そのあと自分で自分が嫌になるような思いをした記憶なら、いくつも、しかと身にこたえた覚えがある」と思い出を語っている。

「・・・昔は今より多少きびしく習慣付けられていたと思う。この挨拶が一家の会話の基礎になるのだ、といった考えによるものであり、また、もののけじめをきちんとさせることだ、ともきかされた。だからこの挨拶ををなおざりにすると、うちの中の話がだんだん通じなくなるおそれがあり、同時にうちの秩序が失せ、乱れが生じる傾向になるといって、きびしく叱られた」
これこそ≪幸田家の躾≫の真骨頂だろう。

幸田文さんもよその人への挨拶は格別苦労したようだ。ことばだけではいけない、からだも挨拶のうちだといって、お辞儀を習わせられる。するとその次は、親類へおつかいにやらされた。たとえば、口上を口うつしに習って覚えて行き、先様に着くと声張り上げて言わされたという。
「これは昨日、京都から到来いたしました松茸でございます。まことに香りばかり、ほんの少々でございますが、お勝手もとの御料におつかいくださいませば、うれしゅうございます」といった調子だ。
文さんにいわせれば「挨拶とはことばでありマナーである。だが、その源は心ばえである。心がからっぽじゃ、ことばも、ことばに添えるマナーもない。
だから、挨拶が入り用なときは、その事柄へ心こまやかにするのが先決で、自然にことばは引っぱられ出てくる、とわたしは思う」ということになる。

その点からいえば、ボクは我が家で、何かにつけて“事柄への心の細やかさ”が決定的に欠けている。いま少し反省しているところだ。
一ヶ月前に誕生し、産院からそのまま我が家に直行、1つ屋根の下で住まっている孫がいるが、この稚児に“無作法だ”と笑われるようになったら、それこそ我輩もお仕舞いだ。初孫じゃないが次女が男児を出産した。ボクらにとって孫息子は初めてだ。我が家の子供たち三人と同じく、漢字一文字を思案して命名と相成ったが、我輩はいま“ボクちゃん”と呼んでいる。当の次女だが、子供を無事さずかり、日に日にふっくら成長してゆくにつれて、いつの間にか不思議にも娘から母親らしく変身してゆく。
我輩は“ボクちゃん”を観察するだけで、抱っこすることもなく明日、近くの街の“我が家”に帰っていく。寂しは隠せない。
次女は寝不足ながらも生き生きとひたむきに“ボクちゃん”の世話に精を出していた。時折り、母親が手助けしていた。
我が家では昔から“おしめ”という言い方はしない。お繦緥(ムツ)と呼ぶ。難しいが「うまい字を当てたと感心する」と文さんの娘さんの随筆家、青木玉さんは次のように語る。


「首も据わらない赤ちゃんを、しっかり布でくるんで冷たい風を防ぎ、傷つきやすい体を損なわないように保つ。その上汚れも吸い取って守り育ててゆく。今はおむつも布偏ではなく紙偏になり、そろそろ総て化学の化偏になるやも知れないが、着ることの原点は生まれたばかりの命の弱さを先ず守ることから生じている。美しい色や可愛いデザインはその次に来るもので、これは当分の間、親の好みと経験から用意されたゆくのだ」
そのうえで、青木玉さんは「それに引きかえ、逆に子が親の着るものに心を遣うことは、親が子にすることの万分の一にも相当しないのではないか」と仰るが、我が家では子(娘)が母親の着るものに気を遣ってくれている。その気遣いが近頃我輩にも及んでくる。嬉しくもあり煩わしくもありだ。