Mamma mia(なんてこった!)の尽きぬネタ

“Kotomitsuki,Otake to get ax over bets”−−某英字紙フロント・ページのHeadline。G20 Summitでの“Kan, Obama to deepen ties”とa domestic big newsが併載されている。
大関と親方が角界から追放されることとなった一大“事件”のようだが、各紙一様にa gambling scandal over pro baseballとある。

そもそもgambleとは何か、The Websterはthe act of playing a game and consciously risking money or other stakes on its outcome:the act of risking something on an uncertain eventと解説。つまり結末不明のゲームを対象にしたマネー・ゲーム。カジノ経済、economy gambleに似て、ハイ・リスク、ハイ・リターン覚悟の遊びである。
これをscandalと呼ぶべきか。「日本の伝統文化、伝統スポーツを著しく汚した。大相撲界の閉鎖性、一般社会と隔離された特殊社会が問題だ」「角界が生まれ変わるためには、大相撲が単なるスポーツか、伝統ある国技と位置づけるのかという根本的議論が必要だ」と識者やコメンテーターは指弾する。
お相撲さんは朝から晩まで稽古に明け暮れ、地方巡業と年六場所。中には大卒もいるが中卒のまま相撲の世界しか知らない力士も少なくない。意識してoffの世界を持つ者はいざ知らず、知的好奇心や趣味を磨かない限りHearts and Mindsを高め、深める機会はない。その上、関取になればタニマチでちやほやされ、お金には困らない。金が入ると余計に金儲けしたくなる。
The Enlarged Devil's Dictionary「悪魔の辞典」のなかでA. Bierceが“gambling”(賭け事)について定義している−−
“The gambling known as business looks with austere disfavor upon the business known as gambling”(ビジネスとしてのギャンブルも、不快なしかめっ面で眺めれば、ギャンブルとしてのビジネスになる)
「ある程度は自分が利益を得ていると意識することから、だが、大部分は他人が損をしているさまを眺めることから楽しみが得られるゲーム)

今回謹慎処分を受けた関取・力士はgamblingの常習性が認められるという。大体gambleに一過性なんてものがあるのか。それに謹慎とは何ぞや。be confined at home in Tokyoというわけか。そもそも野球賭博scandalと云うならば、監督不行き届きの協会幹部の息のかかった特別調査委の委員長がいかにも大鉈をふるったかのように勧告書を読み上げている風景が白々しい。弱い者にお灸をすえて、お歴々は頬かぶり、名古屋での金儲けにお墨付きを与えた茶番劇だ。

誰かが「名古屋場所は外国人力士の取り組みばかりを見せ付けられる」と言っていたが、貧しい国から慣れない異国で孤軍奮闘し、母国へ仕送りをしている外国人力士に今の大相撲界は席巻されているではないか。もはや国技ではない。「伝承に創造を加えて初めて伝統となる」
国際社会が認知し、拍手を送り、五輪のオープン種目に発展するほどの新たな歴史の創造をめざす角界であってほしい。
Kotomitsuki zekiとOtake oyakataの追放だけが目立つ、お粗末な措置。
“Oh, my God!”だ。
FIFA World Cupも佳境を迎えつつあるが、注目の英独の死闘で、レフェリーとラインズマンが明らかなミスジャッジ。英国のFrank Lampardの20mのシュートをNO GOALと判定。誰の目から見てもクロスバーを超えている。
英国チームのCappeloコーチはベンチからはっきり見えたという。相手の独チームJ.Loewコーチも反論しない「試合後TVで見たが、ゴールラインを超えていた」


D.Beckhamがハーフタイムにレフェリーに猛然と抗議していたがダメ。
FIFAのBlatter会長はジレンマでもがいているに違いない。ビデオでのリプレー映像を採用しないからだ。
このレフェリーの歴史に残るミスジャッジがドイツチームの勢いとスキルに火をつけ英国に圧勝だ。“Mamma mia”だ。

いま国内外注目の二つの話題。オチは≪なんてこった!≫。