原稿病+遅筆の鬱

学校に常勤していた頃は、年中原稿書きに追われていた。中でも年末から早春に向かう時節になると憂鬱だ。依頼原稿が10種類を超える。
井上ひさしさんじゃないがボクも遅筆である。書くのが遅いわけではない。取りかかるのが遅いのである。書き始めたら速い。一気に書き上げる。
締切日を守ったことは滅多にない。不誠実というべきか。
依頼者がテーマを設定してくれないのも困る。言い訳になるかも知れないが、テーマとタイトルの設定に難儀する。

それから、原稿を書きはじめる前にあれこれ調べものをする癖が抜けない。最近は止めたが、昔は英語関係の辞典を次々と買いまくった。新語やcatch phrase、slang、underground dictionariesなどが出ると待ってましたと洋書コーナーに立ち寄る。どれも米語、新本だから値段も馬鹿にならない。
最近も英米紙や海外からのメールなどに新類用語が登場する。このあいだ取り上げた“top kill”や“Don't ask, don't tell”などその典型例だ。最新の英和辞典も用立たず。持ち運び困難な大辞典Webster's Third New Internationalにも載っていない。手許にamazon Kindleがあるがこれもダメ。結局ネットでGoogle検索。やっと英語の解説を探り当て、用語の由来や概念を理解するありさまだ。


昨日、締め切り寸前の三種の原稿を一挙に仕上げた。
「今日できることは明日に延ばすな」の箴言が身にしみる。書き終えて直ぐに依頼先に渡した。その後の書き直しはまず無理だ。識者に言わせれば、とりあえず早く書いて、そののち読み返し推敲、訂正するほうが賢明だとのこと。
文章を書く上で気に懸けるのはワン・センテンスの長さだ。なるべく長文を避け、切れのいい短文を繋いでいくように心がけている。新聞、TVなどメディアの影響もある。一文が長い文章よりも短いほうが読み手には解りやすいだろう。が、ショート・センテンスの繋がりだけでは安易で軽薄な内容に流れる懸念がある。要警戒だ。
ところで最近常用漢字として認知され、活用可能な漢字が俄然増えた。手で書くための漢字ではなく、PCキーボードを叩けばお目にかかれる漢字数が増えたわけだ。


ボクは携帯メールは頂戴してもメール返信しない。電話でご返事するか、PCでe-mail返信することにしている。
私信をPC Wordを用い、プリントして封書で出すのは如何なものかと思う。
葉書も封書もお手紙はその名の通り手書きに限る。ところがこれまで書くことができた漢字が書けない。いま書いているブログもそうだが、もっぱらPCで文書作成している弊害の現われだ。そこへきて、難解な漢字が常用漢字のお墨付きをもらったのには正直いって戸惑う。憂鬱の“鬱”などがその1つだ。辞書をひいても虫眼鏡を使わなければ書けない。途方もない画数だ。漢字能力は識字力の1つだろう。だとすれば識字力の低落は眼を覆うばかりだ。

漢字力を少しでも復元するためにも、億劫がらず辞書を丹念に調べながらなるべく丁寧な手紙を書くように努めたい。
例えば書き出しの「前略」は避けたい。「前略御免くださいませ」ではじめたい。舌っ足らずの内容ならば、最後は“不一”で結びたい。擬古文調の謗りを免れないかも知れぬが、読み手は悪い気はしないだろう。