イラKanのままで結構!

Hatoさんが“道半ばで”去って行った。Hatoさんの後を新党さきがけ時代からの盟友Kanさんが継いだ。順当というべし。

故市川房江さんに師事したKanさんのルーツは市民活動(activist)にある。出身大も東工大応用物理というから異色だ。

The NY Timesの速報版は明快だ---
“Naoto Kan, a plain-spoken finance minister with activist roots, was elected prime minister on Friday, making him the fifth Japanese leader in four years”(市民活動をルーツとする歯にころもを着せぬ財務大臣が、四年間で5人目の日本のトップリーダーとなった)
Kanさんは70年代国政選挙三度落選。ボクの地元の多摩地区から80年初当選した。大衆的人気がある割には何故か頭1つ出すのが下手だ。
が、90年代半ばに厚生相に就任。薬害エイズ患者保障で殊勲を上げたが、その後の政界での位置は、DPJのトップを短期間務めたものの、波乱万丈というよりむしろ余り目立たなかった。

目立ったのは野党時代における国会予算委などでの並みいる大臣相手の鋭い追及だろう。
The NY Timesの指摘するとおり“Known for his quick temper,...”(短気で有名)、イラKanだ。同党の大物議員が“今度はイラKanから・・・Kanに変わってくださるでしょう”とエールを送っていたが、“イラKan”のままでいいと思う。

The NY TimesはMr Ozawaをthe party's shadowy power broker(党の闇将軍)と名指しし、“Mr. Kan promised to move the party away from the sort of money policies that the scandal-trained Mr. Ozawa had come to represent ”(スキャンダルまみれのMr. Ozawaに代表される金と政治の関係を断ち切ると約束)と報じた。

米国にとって最大の関心事は沖縄米軍基地、日米同盟の行方がどうなるかだろう。Hatoさんにとって致命傷となったこの問題について今のところKanさんの口から率直な言葉を聞いたことがない。Kanさんに似合わず歯切れが悪いのが気懸かりだ。