“旗めく護憲”--非核・非戦の源泉

憲法施行63周年である。ばらつく改憲派の集まりに比して護憲派の集会は心なしか熱気と勢いがある。

背景に昨年4月のObama Prague Speech on the World without nuclear weaponsがあるのは確かだ。
折りしも、今日N.Yで核不拡散条約(NPT)再検討会議がはじまる。Ahmadinezhadイラン大統領もNY入りだ。

憲法9条と全く相容れないのが、人類と地球を破滅に導く核兵器だ。一年前に他界した忌野清志郎さんが「日本の憲法を世界中に自慢しようぜ」と言っていた。
よく我が国歴代首相が口にする「不戦の誓い」なる言葉は怪しい。不戦と非戦とは明らかに違う。「不戦と云う言葉は、俺はじつは戦えるよ、でも今は戦わないでおくよというつよがりが含まれています。もう1つよく似た言葉で、まったく概念が違う言葉に『非戦』があります。非戦は、一貫して私は戦いませんという言葉です」とNさん。「日本は非戦の誓いを胸に」と宣言したのが憲法九条だ。

あらためて4年前初版の「憲法九条を世界遺産に」(集英社新書)を再読。お笑いタレントO氏の“論調”が明快で痛快だ。

「(憲法九条に)価値があるのは日本人が曲がりなりにも、いろんな拡大解釈をしながらも、この平和憲法を維持してきたことです。あの憲法を見ると、日本人もいいなと思えるし、アメリカ人もいいなと思える。すごくいいことじゃないですか」「その奇蹟の憲法を、自分の国の憲法を自分で作りましょうという程度の理由で、変えたくない。少なくとも僕は、この憲法を変えてしまう時代の一員でありたくない」O氏ならではの絶妙の論法は続く。「お笑いの判断基準でいえば、憲法九条を持っている日本のほうが絶対面白いと思うんです」「憲法九条というのは、人類の限界を超える挑戦でしょう。たぶん、人間の限界は、九条の下にあるのかもしれない。それでも挑戦していく意味はあるんじゃないか。いまこの時点では絵空ごとかもしれないけれど、この平和憲法を持てば、一歩進んだ人間になる可能性もある」
絵空ごととは考えたくない。まさしくボクたちは“旗めく憲法九条を仰ぎ見て”だ。O氏の大胆かつ勇気ある発言。“意思的楽観主義”が内在する。お笑い文化人のリーダーとしての面目躍如たるものがある。