“時代遅れの都市”がない国

昨年6月、初めてItaliaを旅し、一週間余りFirenze(Florence)に滞在した。
日本にFirenzeの姉妹都市がある。京都である。
“The City of Florence--Historical Vistas and Personal Sightings”(邦題:岸本完司訳『フィレンツェに抱かれて』)の著者R.W.B.Lewisが某イタリア人作家に訊ねられた。
「どうして、あんな、つまらない時代遅れの街に住むのかね?」
同書の副題は「都市の物語」であるが、我が国に姉妹都市、京都の“物語゛、≪都市の物語≫と呼ぶことができる本格書が存在するだろうか。

Firenzeと同じくイタリアの都市のほとんどは長い歴史と固有の文化が現在なお存在する。長年にわたる都市国家戦争と侵略の歴史のなかで、しばしば繰り返された都市攻略が一夜にしてその文化財を破壊してきたものの。


Firenzeはどうか。稀に見るルネッサンスの栄えた都市だが、ただそれだけで現在の地位を築いたわけではない。この都市は、奇跡的にも、戦国時代の渦中にありながら、ただの一度も略奪を受けなかった。最大の危機は、1494年と1530年のFirenze包囲だったが、一度目は市民代表が仏王シャルルを説得して略奪を回避、二度目は包囲軍が都市の文化を保存するために、略奪を行なわなかった。1944年、第二次大戦中にも、Naziはただ二つの橋を破壊するにとどまった。常に都市の歴史とその文化財を守り抜いてきたこの都市の市民にとって、最悪の記憶は1966のアルノ川の洪水だろう。この時、文化財の多くが致命的な打撃を受けた。町のいたるところにこの時の水位を示すパネルが張ってある。

いまでは、戦争に代わって、車による公害、地球の異常気象、そして怒濤のような観光客、商業主義による“正当な”略奪がこの都市を襲っている。
意外なことにこの町の人は観光客を歓迎していない。天災からも人災からも一丸となってみずからの歴史文化を守り抜いてきた文化の保護戦士というべき風貌がこの町の市民にある---若葉みどり著『フィレンツェ』(文春文庫)より---

京都はどうか。見事な庭園、木造瓦屋根の、塗り壁や格子の、京都の路地と家並みは、余りに繊細で、余りに洗練され、余りに美しかったため、戦時中日本の主要都市を焼き払った米国戦略爆撃機さえもその目標から外したといわれる。しかるに戦後およそ半世紀の間、日本の不動産業者はその大部分を破壊し、その代わりに見るも無残な“コンクリート・ジャングル”を作り出した。近代化と称する金儲けのために。今では京都市内新幹線沿いに残る伝統的町屋は姿を消した。この過程は現在も続き、町屋はいま1つまた1つと消えてゆく。それを阻止するべく、行政は有効的手段を講じようとしない。


これは少なくとも、(イタリア人に限らず)欧米人の眼から見れば異常で途方も無い状況に違いない。巴里からストックフォルムまで、ワルシャワからフィレンツェまで、欧州には「歴史的中心部」の破壊を放置する町はない(加藤周一著『高原好日』参考)
米国とて同じだ。ボクの訪れたPhiladelphia、南部Memphis、そして最近立ち寄ったTexasのSan Antonioも歴史的中心部は保存されている。
その点1200年の歴史を有する京都は無残だ。京都だけではない。歴史の中心部が保存されていない日本の街々、そして都市をみて“文化的スキャンダル”だとかつて京都に住んでいた米国青年、Marc Peter Keane(マーク・ピーター・キーン)が嘆いたいたようだが無理も無い。
ボクたち日本人は歴史的中心部が保存されている街や都市を“時代遅れのもの”と考えていないか。我が国にも“化石の如き街”が欲しい。