四方の眺め--好日

我がブログはタイトルに似合わず、言ってみれば日々の“雑記”のようなものだ。加藤周一さんの「高原好日」をやっと読み終えた。250頁足らずの文庫本、解説・追記を記した成田龍一氏に言わせれば同書は「加藤さんの身辺雑記のようにみえるが、ここにも加藤さんの思索が込められている」
“最後の知識人”であり“知の巨人”と言われた加藤さんだが、人を惹きつけてやまない魅力に満ちた稀有な知識人であることは一面識もないボクなどにも十分窺い知れる。状況観察は鋭く考察も緻密だが、関心の幅が驚くほど広く、大衆文化にまでアンテナを張っていた。話の内容にユーモアとウィットがまざり、時折り、鋭い眼と顔が一瞬緩み、悪戯っぽい笑顔を見せる。
「高原好日」は加藤さんの著作のなかでは、あの名著「日本文学史序説」など主著からみれば≪周縁の小品≫だろう。
加藤さん自ら語っている---
「『高原好日』を『信濃毎日新聞』に連載して、いつの間にか七十回に及んだ。『高原』は主として浅間山山麓だが、広く解釈して野尻湖畔にも到り、さらに広く信州一般を含めたこともある。・・・『好日』は漠然と楽しい出会いというほどの意味である。併せて私が夏をすごした信濃追分での半世紀以上にわたる交遊録である」


加藤周一さんは2008年12月5日に他界された。その年に「四方の眺め」と題する身辺記を地域新聞に連載。その冒頭部を次のように書き出している---
 「四方」は「よも」と読んで東西南北のことである。身の周りをぐるり
  とひとまわりして、そこに何が見えるか。二ヶ月ごとにその感想を書き
  とめる約束を私(加藤)は読者としたい。
そのうえで、「同じ1つの事件・対象を異なる視点から観察すること」と言い、「四方の眺めは多くの視点からの眺めになるだろう。そのことは、また観察者と対象との距離の柔軟性にも係るはずである」とちょうど二年前に記している。

加藤さんは「九条の会」発起人の一人で同会の支柱だった。「同会発足記念講演会」において「改憲論をどう考えるか」を講じた加藤さんの次の部分は戦後に生きる日本人だれもが耳を澄ますべき内容だ---
憲法の意味を考えるためには、憲法が実際にあって、どういうことが起こったか、憲法と出来事(つまり戦後史)との関係を考えて憲法の意味に思い至るというのがひとつの方法です。もうひとつは、憲法がもしなかったらどうなったろうか、ということ、それから、将来九条をやめたら何が起こるだろうかということを考えてみることです」
まさに想像力が問われる問題だが、加藤さんは同会の設立の経緯を尋ねられて「経緯ということで言えば、それは戦後史ですよ」とさらりと答えている。
加藤さんは「高原好日」のなかで人との会話を愉しんでいた。例えば、岩井克人さんとの出会いの記を孔子の次の言葉で結んでいる。
  楽以忘憂、不知老之将至云爾 (楽しみを以て憂いを忘れ、老いの将に                至らんとするを知らざるのみ)
“楽しみを感じると心配事を忘れて熱中し、自分が老いていっている事に気づかない”
四方の眺めを広げ、深め、「好日」に出逢いたい。

一週間前、我が家に家族が一人増えた。本日で生後ちょうど2ヶ月になる。