Back to winter?

二十四節気で言えば、立春が過ぎ雨水の時節であるが、このところ陽気は厳寒への逆戻りだ。“日脚伸ぶ”という季語があり、暮れの冬至を境に確かに徐々に日が長くなりつつあり、日脚がずい分伸びた感がする。先週など、光が春を先取りしたような温暖な日が続いたが、春一番とはいかなかった。
今朝、西多摩の高台を歩くと、見事な雪化粧だ。淡雪ではない。積もってはすぐ消える牡丹雪を沫雪ともいうが、うっすらと積もった雪が容易に溶けない。
それだけ、気温が低いわけだ。

“水温む”にはいま少し遠い。水溜りや池は薄氷(うすらい)と云うべきか。寒気がもどって薄く張った氷が目につく。
長塚節の名作「土」に『春は空からそうして土から微かに動く』なる一節があるが、ここ数日の寒さは空からも土からも春は微動だにしない。
にもかかわらず、車内風景はマスク族が例年より早い。花粉症が早まったのか? それともswine fluの名残か・・? 加えてマフラーとセーター姿が多い。マフラーを昔は襟巻き・首巻と呼んだ。
  襟巻きやしのぶ浮世の裏通り (永井荷風)
古くさく侘しい裏通りを独り歩く荷風散人の姿が想像される。

明日も更に寒冷が厳しそうだが、“春近し”には違いなかろう。春近しの季語に“春隣”がある。『古今集』の「冬ながら春の隣の近ければ中垣よりぞ花は散りける」から出た季語だという。この句は風に散る雪を花に見立てているが、春の隣から吹く風は東風(こち)だ。立春を過ぎても東風は吹かない。まだ当分は≪名のみの春≫だ。

 「東風吹かば匂ひ起せよ梅の花 あるじなしとて春るぞ忘るな」
梅と云えば、冬に早咲きの梅を訪ね歩くことを“探梅”と呼ぶ。今まさに探梅の時節。寒梅はいい。梅は春告草の別名がある点からみれば、探梅は近づいた春を探ることだ。外歩きをしていると枝先の清楚な白梅に出逢う。

 If Winter comes, can Spring be far behind? (P.B.Shelley,“Ode to the
West Wind”)
≪春遠からじ≫である。