冤罪は権力犯罪

足利事件」の再審が始まった。

「私が17年半も苦しんだのはなぜなのか。冤罪で苦しむ人が二度と出ないようにしてほしい」と宇都宮地裁での再審初公判で訴えるKさん。
「真犯人を探してください。警察は私の潔白を証明する必要がある」
17年振りに釈放されたKさんは63歳、床屋で短く刈った白髪がまぶしい。
≪Kさんを守る会≫は「なぜ冤罪が生まれたのか。原因と責任をはっきりさせるべき」と宇都宮市内で叫ぶ。
ビラを受け取った男子学生は「これは権力犯罪だ。いつだれの身にふりかかってくるかわからない。他人事とは思えない」と怒る。

冤罪といえば、戦時中の言論弾圧事件、横浜事件で投獄された経験を契機に、『仁保事件』(54年発生、1・2審死刑判決後、70年最高裁で差し戻し判決。72年無罪確定)など冤罪事件6件を書き綴ったジャーナリスト故青地晨著「魔の時間」(1976年初版:筑摩書房)は官権によるフレーム・アップを暴く良書だ。
青地さんは、当時残虐を極めた拷問に屈したことを恥と感じつつ、「だが私たちの嘘の自白が原因の1つとなって、長い伝統をもつ『中央公論』や『改造』が廃刊に追い込まれ、二つの出版社は強制解散を命じられた。このことにも私は深い責任を感じている」と述懐している。
冤罪事件がなぜ起きるのか。同書のなかで青地さんは次のように核心をついている。

「拷問に屈服するのは、肉体的な苦痛からばかりではない。いくら真実を述べても、相手はてんから取りあげず、まるで四方をとりまく厚い鉄壁をこぶしで叩くような絶望感が、虚偽の自白へと導くのだ」
「嘘の自白という問題は、権力がつくる『魔の時間』を考慮に入れなければ、とうてい考えられない。そして有能な係官ほど、被疑者にカリスマ的暴力を発揮し、『魔の時間』をやすやすとつくりあげる」

「日本の検察庁は、被告に有利な証拠を公開しないという、まことにフェアーでない習性--伝統的な慣行をもっている。公正な裁判をやり、真実を発見するのが、『公益の代表』の役目ではないのか」
警察や検察は“公益の代表”としての職責意識がはたしてあるのか。まして、このほどスタートした裁判員制度。米国の陪審員もそうだが、我が国の裁判員にかかる職責意識をにわかに求めるのは酷だろう。