エコ−ecology(生態系)−のバランスの崩壊を警告した原点は・・

環境問題がいつのまにかenvironmental issuesから大雑把にエコロジー(ecology)と呼ばれるようになった。エコの方が語呂がいいのかも知れないが、正確さを欠く。
70年代初頭に、英和経済用語辞典づくりに参画し公害用語を収集。ecology「生態系」をtermの1つに加えた。恐らく、本邦初の用語辞典だったと思う。
このecologyのバランスの崩れを告発し、世界に警鐘を鳴らしたのが『沈黙の春』(Silent Spring)のRachel Carsonだ。
“The Sense of Wonder”を遺作に、癌に侵され1964年、56歳の若さで他界した。
生物(人間)と環境のあるべき関係を真剣に考えるうえで、聖典ともいうべき同書のなかでのRachelの次の言葉は極めて重い。

「この地上に生命が誕生して以来、生命と環境という二つのものがたがいに力を及ぼしあいながら生命の歴史を織りなしてきた。環境が生物の形態、習性を作り上げてきた。生物が環境を変えるという力は小さい。ところが廿世紀になってわずかの間に、人間という一種族が恐るべき力を手に入れて自然を大きく変えようとしている」
「私たちはいまや分かれ道にいる。ロバート・フロストの有名な詩とはちがって、どちらの道を選ぶかはいまさら迷うまでもない。長い間、旅をしてきた道は素晴らしい高速道路でスピードに酔うこともできるが、私はだまされているのだ。その行きつく先は禍であり破壊だ。もう一つの道はあまり《人もいかない》が、この分かれ道を行くときにこそ、私たちの住んでいる地球の安全を守る最後の唯一のチャンスがあるといえよう。とにかく、どちらの道を選ぶかをきめなければならないのは私たちだ」
いささか不謹慎だが、“私たちはいまや分かれ道にいる”“どちらの道を選ぶかはいまさら迷うまでもない”のフレーズは、我が国の差し迫った政治体制の選択にあてはまる?
否。LDPもDPJも似たもの同士だ。騒ぐほどのチェンジは期待できない。