おむすびと新聞紙

この2月以来、週何日か仕事にでかける。昼食は大概おむすびで済ませる。家内に二つにぎってもらう。中には鮭か梅干しか昆布が入ってる。そして果物と合わせて、ラップに包んで、布袋に入れ、鞄に入れて持ってゆく。かさばらないし重くもないからいい。
去年三月まで学校に常勤していたときは、弁当を持参した。ひと昔前、家内が英字紙で弁当を包んでくれた。その英字紙の興味をひく記事を拾い読みしながら、昼飯を食べた当時が懐かしい。
最近出た幸田文氏の三部作のひとつ『幸田文 台所帖』のなかに≪おにぎり抄≫というエッセイがある。

「おこげのおむすびが私は小さいとき好きだった。みんなの茶碗には白くはらりとしたごはんが盛られ、私のにはすとんと重さのあるかたまりがつけられる。嬉しいような悲しいような感じなのである。かさの少ないことがなんだかうら淋しいのだが、おにぎりは嬉しい。だから、だいじにだいじにして、いつもおにぎりに限りゆっくりとたべていった記憶がある。あまり大切にしてたべるので、見苦しいと叱られ、この子は生まれつき貧乏性なのかも知れないと、父に慨(なげ)かれたおぼえさえある」と語る文にとって「台所が教室だった」。
そして先生は父露伴だった。露伴の文に対する躾は容赦ない。
父から「多きは卑し。分量も味のうちとわからないようでは、人並みへは遠いよ」といわれると、「胸にこたえてむかっと」して反抗した。父に叱られても、酷評されても快活な文だが、「戦争のおにぎりは、新聞紙のおにぎりだ。木の葉ならばいさぎのよいものを、新聞でじかに包んだおにぎりには、新聞のケバがくっついて活字のあとがしみていた。印刷のおにぎり、文字のめしである」と苦笑する。
その文も父の見送りはせつなかった。「戦後2年目、まだまるで物のない頃に、私は父を見送った。そのもののないなかに精いっぱい無理をして、父にたべてもらいたいばがりに集めた米だのに、父はそれをみんな残して逝ってしまった」
今ではおこげのおむすびや、塩むすびも縁がない。
ボクらにも人並みに、父母に見てもらいたい風景がある。それらを見ずして、父母や義父母も逝ってしまった。
さすがに新聞紙でおにぎりは包めないが、このところラップを開いてノリ巻きのおむすびを、ほうじ茶をすすりながら、しんみりと食べている。