今はEmperorの聖断はおろか英断もタブー?・

ひと頃、松本清張の歴史モノを夢中で読んだ。早いもので清張没後17年になるが、死人に口無しで、亡くなった途端、いわゆる清張史観に大きな疑問符を打つ識者が続々と現れた。とはいえ、清張モノは今も売れ行きは悪くない。

『対談昭和史発掘』(文春新書)が面白い。五味川純平との対談≪戦中編:吹き荒れるファシズム≫のなかに「昭和の三聖断」というのがある。

清張--「いわゆる昭和の三聖断といわれているのがありますね。1つは張作霖を爆殺した関東軍のことで天皇田中首相を叱責した。もう1つは二二六事件の時、『断固討伐』という線を最初から打ち出したこと。最後がポツダム宣言の受諾を天皇が御前会議で表明したということ。この三つとも天皇の聖断と言っているけれども、天皇というのは自分の意思をはっきり言わないように教育されているいるから『三聖断』もどこまでが自己の意思かわからない。やはり側近の進言が強かったとみたほうがよい」
五味川--「あなたが三つおっしゃったことにつけ加えるならば太平洋戦争開戦前に杉山元を呼んでどのくらいで片づくかと言ったら、三ヶ月と答えた。お前は日中戦争の時にどう言ったか、一ヶ月で片づくと言った、シナは広うございますからと答えると、天皇は太平洋はもっと広いじゃないかと怒ったという話しがありますね、これは実話だろうけど、そのくらいの感覚はあったんじゃないですか」
清張--「そのくらいの皮肉は言うかもしれないが、重要な決定はやはり側近や周囲からの突き上げだろう。ポツダムの場合なんかでも。関係者の回想録などを見ると、それがよくわかる」
五味川--「これはあったと思います。ですから、あれがもし天皇独自の意見だったら太平洋戦争を止めることができたんなら、やらんこともできたのではないかという言い方もできるんですけどね。しかし、かなり好戦的だった事実もありますね。ガダルカナルでやってもやってもダメだという時点で報告に行くと、そんな話を聞きたいんではないんだ、どうやれば勝てるかという話をおれは聞きたいんだだと言うんです」
昭和天皇が“オレ”なんて言葉を使ったのか、知る由がない。が、今の我が国の未曾有の不況と無策で混迷する為政者や自民と民主の飽き飽きするような猿蟹合戦に対し、現天皇はひとこと叱責するか不快感をあらわにされたら如何?「何をもたもたしてるんだね」
憲法上、聖断・英断は無理でも、その程度の感覚を表現されると多少のお灸になるんだが・・・。