昭和は遠くなりにけり?--問われるメディアの報道姿勢

創刊130年を迎えるA紙が昭和を様々な角度から検証しようとする。
A紙に限らず、戦時中、こぞって大政翼賛化し、軍国日本を後押しした。A紙は1945年11月7日「国民と共に立たん」と題し次のような社告を載せている。

「開戦より戦時中を通じ、幾多の制約があったとはいへ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たし得ず、またこの制約打破に微力、つひに敗戦にいたり、国民をして事態の進展に無知なるまま今日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せん・・・」
が、この猛省がその後の報道にどのように活かされてきたか。「つまるところ『真実の報道』と『厳正なる批判』をどこまで突き進めたのか。それはジャーナリズムの足元が揺らいでいるいま、再び、切実な課題となっている」A紙主筆は警鐘を鳴らす。
昭和はサラリーマンの時代だった。“カイシャ人間”と皮肉られつつ世界に誇れる中間層を担ってきたサラリーマン。それは昭和が育て来たまぎれもなき財産だった。
時代が平成になり、日本社会の安定に貢献してきたその中間層が分裂し、二極化が進んでいる。≪分裂ニッポン≫。いまや沈滞化し、先が見ない平成よりも昭和の方が前向きで明るかったのではないか。
因みに、A紙による“「昭和」で思い浮かぶ人物ベスト20”。
第1位は昭和天皇、これは仕方がない。第2位田中角栄、戦後の清濁併せ呑む右肩上がりの象徴だろう。そして第3位が美空ひばりである。戦後復興の希望の星。奇しくも昭和終焉の年に他界したひぱりだが、昭和を知らない20代〜30代からの支持者も多い。メデイァの中でいき続ける「昭和の顔」だ。

あの戦争に対するメディア(報道機関)の責任はどうだろう。軍部・政治家に続いて戦争責任は重い。極めて重い〜ある程度重いを含めて87%の世論がその責任を問題視している。
我が国のメディア・ジャーナリズムは、改めてその報道姿勢とコメントの視点が現在も、そして将来にわたって鋭く問われよう。