温暖な日和の卒業式-辛夷やわらびより桜餅が似合いそう

前任校の卒業式に招かれた。去年までホストだった我が身がゲストに変転した。得に言われぬ妙な気分がするものだ。風が少し強かったが、温暖な日和だった。
幸田文が随筆「雀の手帳」なかで次のように書き記している。
『入学願書を出すのが梅で、試験が沈丁花で、卒業が辛夷で、入学が桜だという』

春先と云えば“わらび”もぴったり来る。
幸田文 台所帖」を今夕書店で買った。そのなかに≪わらび≫についての気の利いた一節がある。
『  さわらびが、にぎりこぶしをふり上げて、
     やまのよこつら、はるかぜぞふく
 なんとかの一つ覚えというけれど、このうた私のたいせつな、とっておきの一つ覚えである。芽を出したばかりの若く小さなわらびの、ひたむきに、伸び育って生きていこうとしている姿が、みごとなユーモアでうたわれている』
さわらびの“ひたむきに、伸び育って生きていこうとしている姿”は高校卒業生と符合するものがある。
でも、気温15℃の温暖な日の卒業式ともなると、早春の辛夷やわらびの時節を超えて、早や「さくら餅」がお似合いだ。

いかにも美味しそうなケーキやお菓子をすすめられても、胃の具合を用心して、お相伴にあずからない我輩だが、幸田文女史じゃないが、「町のお菓子屋さんに“さくら餅”と鴇色の紙がさげてあったりすると、ついふらふらと一と折、小さいのを求め」たくもなるものである。