名優に刻まれる悩みや苦しみの皴

1963年1月「文学座」が分裂した。分裂というより、芥川比呂志以下、中堅・若手座員29名の脱退劇。その中に文芸部員で評論家の福田恒存が含まれていた。日本演劇界最大の事件だった。芥川と福田は「現代演劇協会」を結成し、劇団「雲」が誕生した。
が、福田の翻訳・演出のシェークスピア真夏の夜の夢』で旗揚げしたものの、芥川と福田の演劇観に違いが表面化し分裂、“両雄並び立たず”である。
1975年、芥川らは「雲」から独立して「演劇集団円」を設立した。創立時の代表者、芥川亡きあと中村伸郎、そのあと仲谷昇が就任したが、その仲谷も一昨年他界。そして現在、代表に橋爪功が就任し、7年前から浅草に劇団を構えている。
橋爪はボクと同年だ。正義感あふれる善人や、滑稽な脇役や悪役など、役作りは見事なものだ。もう若くない。人知れぬ悩みや苦しみがこの役者を成長させているのだろう。いずれ名優と呼ばれる日も遠くない。その橋爪功さんがしみじみと語っている。
『俳優の仕事は、喜びよりも苦しみが多いですね。でも、人間に興味がある間は、芝居やっていてよかったな、と思うでしょうね。好奇心がバロメーターです。演じるために努力するし、心も揺れ動く。それが楽しい作業だし、役者やっててよかったなと思います』
この語りは人を相手にする教育職にも通じるものがあろう。