反戦主義者で自由人だった

反戦・平和を希求したリベラリスト三笠宮さまが逝った。The Time(1955年版)によれば「幼少時から皇室では厄介者だった」ようだ。1930年代〜1940年、数100万にも及ぶ徴用兵に犠牲を強いながら南進拡大を正当化する軍部の方針に圧され優柔不断な姿に映るnationalistの兄天皇箴言したこともあったいう。第二次大戦中、偽名を用いて陸軍参謀として中国大陸に従軍した三笠宮は日本侵略軍の中国人に対する残虐行為を痛烈に批判している。1943年〜44年、南京にもいた。満州の平原で日本軍が中国人捕虜を使って、毒ガスの生体実験を行っているフィルムを見たもという。1994年Y紙のインタビューのなかで"I was strongly shocked when an officer told me that the best way to train new soldiers is to use a living prisoner of war s the tareget of bayonet ptactice."(新兵を鍛える一番良い方法は捕虜を的にして銃剣を突き刺す訓練をさせることだと将校が語るのを聞いて大変ショックを受けた) と述べている。

1953宮さまが語っているー"Let us not believe foreigners who try to tell us there can be any war of righteousness."ー戦争にも正しい戦争 (聖戦)があるなどと言い張る異国人を信じてはいけない)--
宮さま自身、「聖戦だと信じて従軍した一人の軍人として平和の大切さを語り継いでいるのです」と付言している。「100歳を迎えたからといって変わるものは何もない」と70余年共に過ごされたご夫人に感謝の言葉を残して逝かれた。昭和史の真実の決然たる語り部でもあった。その平和を希求する真情は現天皇にも伝承されているに違いない。