いつまでも戦後でありたい

暑くて長い夏。今年も8月15日を迎え、"終戦後"71年と呼び得た。21世紀は、後世になり<平和の世紀>として記憶され記録されるだろうか? 

『平和とは、国際関係について、二つの戦争の時期の間に介在するだまし合いの時期を指す』とA. BierceがThe Devil's Dictionaryのなかで定義づけている。あながち悪い冗談だとも言い切れまい。また、Bierceは『戦争とは、平和の策略が生み出す副産物。政治情勢が最大の危機に直面するのは、国際親善の時期である』と言う。
先の大戦について、そして戦後について深く考えさせられてしまう。決まったようにTVに1943年10月21日、雨のなか、神宮外苑競技場で挙行された学徒出陣壮行会の情景が映し出される。戦局が不利に傾くなか、20歳以上の高等教育機関の若者が徴用され、文科系大学生が戦地に駆り出された。



戦時においてもすでに「理尊文卑」なのか? <役立たずの文系学生は、せめて皇国のため命を惜しむな>と言わんばかりだ。文系学問の有する<知の遊戯性>を無視する国策は戦時も今も変わらぬ。
当時東大の医学生だった加藤周一は学徒出陣で親友が戦死した。「代わりに自分が戦地に赴いたかもしれない」と加藤は語る「彼らは戦争は二度と再びあってはならないと叫んでいるに違いない」「彼らの遺志を裏切るわけにはいかぬ」と決意する。

殺戮の連鎖が絶えない現代にあって、「西洋になくて逆に日本が創り出し得るもの、憲法九条を大切にしていくことだ」と九条の会を立ち上げた知の巨人である今は亡き加藤周一の決然たる言葉を改めて心に刻みたい。
平和憲法の守護者たる天皇は、戦没者追悼式で「過去を顧み深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないこと切に願い・・」と平明な言葉を。

一方、PM Abeはいつもながら詠嘆調の美辞麗句の羅列。<御霊に永遠の安らぎを><哀悼の誠を捧げる>等々・・。「謙虚に歴史に向き合う」「戦争の惨禍を繰り返しててはならぬ」と述べながら、第二次内閣発足後4年連続、アジア諸国への「加害者責任」と「反省」の弁は一切無し。曖昧さと逃げの一手だ。こともあろうに、President Obamaが検討中の核兵器先制不使用宣言に対し「抑止力を弱める」と反対の意向を伝えていた言う。言語同断、恐れ入ったPMだ。

"The way to win an atomic war is to make certain it never starts"--Gen. Omar Bradley, 1948---(核戦争に勝利するには、決して戦争を始めないことである)-- ベトナム戦争時、タカ派で知られた初代統合参謀総長オマール・ブラドリー司令官の言葉。第二次大戦終結直後、核兵器先制不使用を提唱している。PM Abeは恥ずかしくないのか?