Bacuum Zone & ペン偽らず

モノクロ・スタンダード作品は最近お目にかからない。戦前・戦中にも無声モノを含め日本にも見るべき作品が何本かあるが、なんと言ってもエポックメーキングなのは終戦後間もなく誕生した独立プロ作品だろう。戦後日本の独立プロ運動の先駆者は山本薩夫監督だ。

昨日新文芸坐で「暴力の街」と「真空地帯」を観た。二本とも2時間の長尺モノで社会派の話題作。「暴力の街」は副題が<ペン偽らず>とある。1950 年制作、独立プロの処女作だ。
1946年〜48年にかけ三次にわたり大手映画会社東宝労働争議東宝争議』が発生。特に第三次の争議は大規模に及び、最終的には撮影所の撤収に警視庁と米軍が出動する騒ぎとなった。

その結果、多くの者が東宝を解雇され、レッドパージによって映画会社から追放された。そうした人たちが、自分たちが本当に作りたい映画を作ろうと、企業に頼らず、自ら独立プロを立ち上げ、映画制作に乗り出した。その一作目の「暴力の街」は東宝争議の解決金として獲得した1,500万円をもとに日本映画演劇労働組合が自主制作したというから凄まじい。
原作は埼玉県本庄町(今の本庄市)の暴力町長と町民の戦いをルポした「ペン偽らず」だ。そのキャンペーンをやっていたデスクが朝日新聞浦和支局の佐川支局長。山本薩夫監督の学生時代の同級生であり、彼が本を送ってくれたのが映画制作のきっかけだったという。

本庄町はヤクザの本場だった。暴力団が検察、警察、公安、町議に至るまで手を回し町を支配、善良な町民は恐れ慄きながら暮らしていた。警察後援会、公安連絡会、記者クラブなどが暴力団と癒着しているからお手上げだ。撮影は現地ロケ。暴力と闘った青年たちが撮影に協力したため、ちょうど釈放されたばかりの暴力団員が黙っていない。撮影妨害やゴタゴタの連続で、暴力団とグルになっている検事の実名をシナリオに出したところ、告訴するという。山本監督は「却って映画の宣伝になった」と今井正監督との対談のなかで笑っていた。
朝日新聞は映画のなかでは東朝新聞となっているが、登場人物の名前を含め、実在した事件をセミドキュメンタリーで再現している。基調は真相究明に立ち上がった新聞記者たちの町民へのアンケート、徹底調査にある。「暗い町から明るい町へ」をスローガンに多くの若者たちが運動に参加、暴力団や警察の圧力に抗し、町全体に少しづつ反ボス的な動きが広がりをみせてゆく。町刷新会が結成され、町民大会が開かれる。技法はイタリアの『自転車泥棒』を彷彿させるネオリアリズムの手法に似ている。役者が揃っている。戦後の新劇界・映画界を牽引した名優ばかりだ。原保美・志村喬・池辺良など。宇野重吉のトボけたブン屋姿が秀逸だ。滝沢修の鬼検事と三島雅夫の警察後援会長。憎まれ役が見事だ。

52年に制作された「真空地帯」。野間宏の実体験に基づく同名小説を山本薩夫が映画化した。軍隊内部に蔓延する暴力、いじめ、理不尽な命令などを描く反戦映画だ。戦場は出てこない。撮影には終戦後も残っていた佐倉連隊の元兵舎を使用している。<真空地帯>はvacuume zone。社会から隔絶された兵営の、非人間的な状況を告発する軍隊批判の作品だ。リンチ制裁がまかり通っていた。


古参兵が初年兵を並ばせてビンタを浴びせる場面がたびたびある。トリックなしに俳優に生の鉄拳をふるわせたという。音はさほどしないが、ホンモノだ。痛みが伝わり、残忍さに目を背けたくなる。陸軍刑務所に2年服役し出所後、軍内務班に復帰した木村功扮する木谷一等兵だけはイジメに加わらなかった。その木谷が上部の派閥争いのあおりで、野戦送りの人員に選ばれてしまう。命令に抗議、刑務所に送られた木谷。戦地送りの船中がラストシーンとなる。多くのエキストラが使われていたが、その中の一人に若き山田洋次監督がいたという、画面には映っていないが。
ボクは、根っからの山本薩夫フアンだが、社会派映画の巨匠であるだけでなく、作品が精緻なストーリ性とエンターテインメント性を備えているからだ。
<余話>

さて今の日本に「真空地帯」は存在しないか? <ペン偽らず>の社会だろうか? 大きな疑問符付きだ。終盤を迎えた都知事選の雲行きが怪しい。陰謀と謀略が渦巻いている。能弁な超タカ派の女に騙されている都民が多いと聞く。その欺瞞に満ちた仮面を剥がせ! 
訥弁な平和主義者が苦戦している。
タブロイド判三文紙Fや大衆誌BSの低劣記事が選挙の趨勢を支配し、有力メデイアが権力者に擦り寄り、沈黙を守るおぞましさ。<ペンは剣より強し>であって欲しい。都政が社会から隔絶され伏魔殿とならぬよう願いたい。