入学式--言わねばならないこと

文字通り花冷えの昨日・今日、二つの高校で入学式。畏れ多くも来賓として“臨席”したが、我が身はいつも観照者と批評家である。
昨日の入学式、主役は誰なのか?壇上にスポットライトが当てられ、新入生の坐る会場・客席が暗すぎる。担任に呼名された生徒の顔と姿がよく見えない。まさに主客転倒だ。
式後の祝賀会も異様だ。教職員が拍手を以て、入学式に臨席した役員たちを迎える。まるで役員のお披露目会・・。入学式後の祝賀とは一体誰を、何を祝うのか?式を主催したのは校長ら教職員のはずだ。ボクは拍手しながら会場に入った。中国式ではないが、せめてもの異議申したてのつもりだった。
<式辞>も<挨拶>も手垢のついた言い回しを多用した言葉の羅列、「言葉の力に対する信頼」が感じられない空疎な中味だった。情理が欠けている。早や学校に軋みとズレがみられる。
霙と雪混じりの今日の入学式、式辞と挨拶に心がこもっていた。オリジナリティがあり情理が感じられた。
ボクは徒(イタズラ)に言いたいことを言って、快を食っているワケではない。言わねばならないことを言っているのだ。言わねばならぬことを言うのは愉快でなく、苦痛だ。何故ならば、言いたいことを言うのは権利の行使であるのに反して、言うべきことを言うのは、義務の履行だからだ。義務の履行は得てして辛いものだ。