囚われの孔雀が世界にデビュー--Aung San Suu Kyi

Nobel Peace Prizeを受賞後21年を経てオスロ市庁舎のステージに立ったSuu Kyi女史。30分以上に及ぶ受賞演説に世界が目を注ぎ、耳を傾けた。

軍政による3度のhouse arrest(自宅軟禁)は合わせて14年9ヶ月に及んだ。元AFP記者M氏に言わせれば「軍人さんたちも、バカなことをしたものだ。スーチーを自宅に軟禁することで、彼女をひとりの殉教者にしたててしまった。スーチーを<自由の女神>に祭り上げてしまった」ことになる。


人権擁護の功績に対して贈られるサハロフ賞を授与されたSuu Kyi女史が寄稿した『恐怖からの自由』のなかで語っているー「人は権力によって堕落するのではない。権力を失う恐怖によって堕落するのだ。そして支配者による弾圧の恐怖は、そのもとに生きる人々をも堕落させる」
このSuu Kyi氏女史の言葉は<grace under pressure(抑圧下の優雅さ)とでも表現できる勇気>の象徴を意味する。言い換えれば“徳”ーどんな苦難や圧力の下でも、冷静で感情の高ぶりを示さない優雅さ清廉・潔癖さ。単なる女闘士でない敬虔な仏教徒としての身力ある人柄が民衆を圧倒的に惹きつける。軍政が今なおSuu Kyi女史の存在を恐れるのは一語一語紡ぎだす彼女の言葉とその稀有な人徳にある。

Suu Kyi女史のノーベル平和賞受賞記念スピーチのうち、後世に残るであろう格調高い数箇所を明記しておきたい--
“What the Nobel Peace Prize did was to draw me once again into the other human beings outside the isolated area in which I lived, to restore the sense of reality to me”(平和賞は、私を隔離された場所から、他の人たちが暮らす世界へと引き戻し、現実感を取り戻させてくれた)

“And what was more important, the Nobel Prize had drawn the attention of the world to the struggle to democracy and human rights in Burma. We were not going to be forgotten”(より重要なことは、ノーベル賞が世界の人々の関心を、民主主義や人権を求めるビルマの闘いに惹きつけたことだ。我々は忘れられなかった)
Suu Kyi氏は自国をMyanmarと呼ばない。一貫してBurmaと呼ぶ。
“The Burmese concept of peace can be explained as the happiness arising from the cessation of factors that militate against the harmonious and the wholesome”(ビルマの平和の概念は、調和や健全性に悪影響を及ぼす要因をなくすことによる幸福、と説明できる)
“I used the word 'kinder' after careful deliberation; I might say the careful deliberation of many years”(私は『思いやり』という言葉を熟慮の末に使った。何年も熟慮したといえる)

そして“Kindness can change the lives of people”(思いやりは人々の人生を変えることができる)
“囚われの孔雀”だったAung San Su Kyiの言葉は重く深淵だ。