自由闊達、自在のアタマ

小三治師匠が次期落語協会会長に就任する。某落語評論家じゃないが、「これて落語が本道に戻るような気がする」。最近の多くの芸人が異口同音に小三治さんに期待する。

いわゆる、“受け狙い”の芸が蔓延している昨今の落語にには見向きもせず、飄然とした孤高の芸境にいるというべき小三治師が芸以外の雑務をこなさなきゃならない立場との折り合いをどうつけけてゆくか。心配な向きもある。
小三治さんの落語は、心の赴くまま、自由闊達なところが、真骨頂だ。
揮毫を求められると≪如遊≫と書くという。
師匠のアタマは自在だ。味わいがなんともいい。ご自身曰く「二十日もほっとくと、もういけません。ええ。なんかこう締りがなくなってね、方々デコボコ、デコボコしてきます。これはいけませんからね」

師匠のアタマ論は絶妙で、的を射ている---
「・・昔っから、ほら、よく、職人に口を出しちゃいけないってなことを言うでしょう。特に床屋さんなんかに行ってね、あそをこうやってくれ、ここはそうじゃなくこうしてやってくれなんて言うってえと、いやがれたり、意地悪をされたりするってなことを言いますが。いま美容院でもそうですよね。大体、美容院から帰ってきた女の人ってのは、何ともひどいアタマしてますね」
そろそろボクのアタマも締りがなくなってきた。明日でもカットに行くか。職人さんにはいちいち注文をつけない方が利巧だ。アタマをただ短くするのに注文も何もあるわけないじゃないか。
アタマを刈ってもらってるあいだに小三治師匠の『もひとつ ま・く・ら』でも読んでたいのだが、そいつは無理のようだ。