古希は懐旧の時節?

古稀を祝って中学の同窓会。こんなお誘いに惹かれて某ホテルにでかけた。
80人を超える集まり、この歳でこの種の会としては大変な賑わいだ。が、鬼籍に入った同輩がすでに26名いる。黙祷を捧げた。
ボクは同窓会や同期会には殆ど出席しない。別に苦手だというわけじゃないが、あまり話題がないからだ。回想・回顧するにも、集う同世代の者たちの顔・名前の記憶が薄れているからだ。

というわけで、本日は実に53年振りの再会となる同期生がほとんどだった。でも、幹事さんから当時の写真を見せられると、原風景が頭をよぎる。しかも、中一と中三の時の担任の先生が今もご壮健。ここでお目にかかれるとは恐縮千万だった。それぞれ米寿をお迎えの先生を前にすると、ボクなど未だヒョッコだと思う。
ところで、古稀とは70歳の異称だが、まだ70歳に達していないのに古稀の祝いとはなんぞやと疑問を呈したところ、数え齢で70になると古稀だという。本当なの?
担任すべてを恩師とは言い難い。が、本日お見えの中三時の担任T先生は、卒業する時にある言葉を遺してくれた。
「鶏口となるも牛後となる勿れ」(鶏頭牛尾)

思いがけなく冒頭の乾杯の音頭のご指名を受けたボクは、ある種の感慨をもってこの言葉に触れた。「鶏頭にはなかなかなれませんが、牛尾にはならなかったつもりです」皆の衆の理解が得られたか不知だが、半生を顧みての偽らざる実感だ。
人生の余白と云うべきか、第二幕を埋めている我輩にとっては回顧・回想するほどの語るべき半生は持ち合わせていないが、時には懐旧もいいものだ。そう自分に言い聞かせながら、再会を期して夕刻家路についた。
明日から藤沢周平原作の『花のあと』が全国公開される。監督は中西健二氏。

NHKキャスターM氏が推薦している--
「今年で没後13年。いまなお藤沢作品が支持され続けているのは、作品の根底に人間への深い愛が横たわっているからでしょう。言外に匂わせたものから父娘の愛情を描く、そのストーリー展開の素晴らしさ。女性の機微も細やかに描かれています。この『花のあと』は、藤沢先生ご本人にぜひ見ていただきたかった映画です」
周平さんは自作が映画化されるのをあまり歓迎しなかったようだ。何故だろう。映画が得てして原作をディフォルメしかねないからだろう。
同窓会も桜の季節ともなれば「花のあと」を残して、それぞれが散会してゆくものだ。