“革命的”役者と走者---現代版人間機関車

新春恒例の大学箱根駅伝。往路の5区、最長区間23.4kmの山登りを昨年に引き続きブッチギリで制したToyo Univ.の柏原選手の走りっ振りを見て、≪人間機関車≫を思い出した。
68年以上昔(1952年)、ヘルシンキ五輪で5000m、10000mそしてマラソン三冠王になったチェコスロバキアのエミル・ザトペック(Emil Zatopek)の姿だ。
顔をしかめ、喘ぎながら走るスタイルから「人間機関車」と呼ばれた。
柏原君も終始、苦し気な表情でガムシャラに劇走する。その韋駄天振りは、もうD51は見られなくなったが、現代版「人間機関車」だと言えよう。新たな革命だ。

『人間機関車 E.ザトペックの実像』の著者ズデニェク・トーマがザトペックの走り方について語っている----
「記録を伸ばすにためにはいかなるトレーニングも辞さない---これがエミルのやり方だった。---相手の出方に応じて走ろうとする選手は、自己の競争心を失い、自主性も殺がれ、好成績にも縁がないものだ」
相手は他のランナーではない。走るのは自分なのだから、自分を勇気づけて自分を叱咤激励するしかない。

このザトペックのランナーとしの思考は柏原君の勝利後のコメントに通じるものがある。
革命的と云えば女優の森光子さんだ。ボクが彼女の存在に注目し始めたのは、ヘルシンキ五輪の二年後1954年1月から56年の10月までABCラジオで放送された「漫才学校」にまでさかのぼる。ミュージカル演芸番組だった。ミヤコ蝶々南都雄二、いとし・こいし、A助・B助などにまじり教師役に出演している。
「歌が上手な光ッちゃん」と番組の中で愛称されていたが、美空ひばりが一目おくほど森さんは歌はうまかった(今もなかなかのモノである)。
森光子といえば「放浪記」だが、この8日から特別公演『新春 人生革命』を帝国劇場で演じる。歌と芝居とダンスに彩られた舞台だそうだ。共演者がメディアムテンポのダンスの稽古を始めると、森さんも立ち上がって同じステップで一曲踊ってしまったというから仰天だ。

当公演中に卒寿を迎える森さんだが、70年以上に及ぶ芸人としてのキャリアは、こうした何でもこなす多彩な表現手段と常に時代を自分の中にとりこんでしまう懐の深さを生み出した。まさに演出も演技も革命的といわざるを得ない。
 富安風生の数えで80歳のときの句がある。
  生きることやうやく楽し老いの春
風生を凌ぐ卒寿の森さんの代わりに拙句・駄句を詠む--
  初春に芝居演々板楽し齢(よわい)寿(ことほ)ぎ卒(おわり)なければ
因みに、卒寿の由来は「卒の略字『卆』を分解すると九十となるから、九十歳を寿ぐとなる」