ベトナム型市場経済主義(資本主義)をアフガンに再現するつもり?

ベトナムへのパック旅行が流行っている。
45年前の1965年2月米軍の北爆で始まったVietnam Warは10年後の75年4月末サイゴン陥落、米軍敗退により停戦。早や35年になる。


今やかつての戦場はおとぎの国へと変貌か?(From War Zone to Wonderland)
クリスマスシーズンに首都Hanoiに滞在していたThe NY TimesのコラムニストRoger Cohenが首をかしげた。


「地元の子供たちのだれもがサンタの衣装を着ている。“Jingle Bells”や“Santa Claus is Coming to Town”の音楽が流れていない店やレストランはほとんどない」
Cohen氏のベトナムの友人曰く「ベトナムキリスト教徒はごく少数派の国だ。過去10年、クリスマス商品だけでなくValentine's Dayなども関連商品は店に出なかった」
確かに、今もベトナムの最大の祝日はTetとして知られる旧正月(春節)だが、西欧型商売人はアメリカの生活様式を喧伝し際立った成功を収めている。

Cohen氏は続ける“Perhaps that's why America fought the war here, not to win, but to help the Communist victors see the folly of the ways”(だからこそ米国はベトナムと戦ったのだ。勝利するためではない。共産主義者に彼等の思想、生活スタイルが愚かなものであることを理解させるためだ)
北ベトナム軍のボーゲンザップ将軍は停戦後年を20経て「共産主義こそ万人に幸福をもたらす」と言った。
が、15年前の1995年までに、ベトナムの為政者は覚醒した--「戦時においては共産主義様式は効用があったが、国を統治するうえではさもしい方式だ」
ベトナムの今日の姿を直視すると不思議に思うだろう。若者たちのサンタの姿ではない。地面を掘れば無数の戦死者の人骨が出てくる。ハイウエイは閑散としたものだ。眼にするのは“re-education camps”(再教育収容所)に送られてゆく政治犯の足跡だ。ハノイの豪華ホテルがジャーナリストに紹介されたのが30年足らず前のことだ。が、バスルームに入ると、天井は塗り替えられていたが水漏れだ。ロビーをネズミが走っていた」

「欧米にとって、アジア諸国の安定は、自由の制限された政治体制や経済的自由は許容しても為政者を選ぶことはご法度の制度をも問題にしないほどの願いである」
「とはいえ、こうしたサンタの格好をじっと見つめていると、金に勝るモノはほかに何も無いという最近のこの国の現状はまことに心配だ。私の願いは、ベトナムの独立のための戦いの結果が自国の文化を売り渡すことにならないことだ。万一そうなれば全ての国民にとって敗北を意味するからだ」

Roger Cohen氏のコメントは的を射ている。ベトナム観光にでかける旅人にとって、ハノイよりホーチミン市がお気に入りのようだ。市場経済の恩恵に浴しつつあるベトナムの姿の裏にある30年前の悲惨に激戦の名残は余り関心はなかろう。

ホーチミン市はかつてのサイゴン。35年前の4月30日の陥落の場面が眼に焼きついている旅行者がはたして何人いるだろう。

アフガンはベトナムの二の舞か・・?