沖縄戦とはいったい何だったのか・・

今日6月24日は沖縄は「公休日」である。太平洋戦争末期の沖縄戦の“終戦日”として、県の条例で『慰霊の日』と定めらているからだ。

「軍司令官の自決の日を沖縄戦終結記念日とすることには異論もあるが、いまのところこれに代わる日を設定するのはむつかしい。沖縄の場合、“終戦の日”が皆それぞれ異なるからだ」
沖縄戦研究家の第一人者であるボクの旧友O氏の言葉である。
今から12年前、O氏に四半世紀振りに池袋で会い会食した。その時、氏の労作『民衆の眼でとらえる戦争-- 沖縄戦』(高文研)を頂いた。書物の帯は≪県民の四人に1人が死んだ沖縄戦とは、いったい何だったのか?≫と問いかける。
彼から贈呈されたのは95年改訂版第五刷モノだが、初版は85年6月23日に出されている。
言うまでもなく、沖縄は国内で唯一「戦地」と認定された県である。
沖縄戦は日米最後の地上戦闘として戦史に特筆されてきた。と同時に、数十万の一般国民を戦線にまきこんでの“玉砕戦”であったことを忘れてはならない」と同氏は記しながらも、ボクに贈呈してくれた『沖縄戦』の表紙の裏の見開きのところに“命どぅ宝”というフレーズをサインしている。彼は同書のなかの≪戦争体験の思想化≫において説いている。
「『命どぅ宝』というのは『玉砕』の反対語である。・・・・・
『命どぅ宝』はつまるところ『瓦全』の思想である。玉と砕けるよりも瓦となって全うしたい、という逆転の思想であって、言ってみれば、逃げる思想であり開き直りの思想である。けっして弱弱しいヒューマニズムで味つけされた口あたりいい文句ではないのである」
日本軍によって自決を迫られ、家族を手にかけた地獄絵図について無表情に重い口を開く現地のお年寄りの姿を見るとき、“沖縄の戦後が終わっていない”のを実感せざるを得ない。
そもそも“戦後”とは何か。「固有の意味での『戦後』という言葉は日本とドイツにしかない。これは『戦後』が単なる戦前・戦中の『あと』ではなく、政治も社会も文化も激変としたという特別の意味が込められているからである」(望田幸男:『二つの戦後・二つの近代』より)
沖縄の戦後は、'戦前に比べ“激変”したか・・?
沖縄は、そして日本は今なお、沖縄戦による負の遺産と向き合わざるを得ない。